首落ち切りは美しく。
2019年4月6日(土)〜14日(日)
劇団わたあめ工場 #14
「鬼魅鬼」
無事、終演いたしました。
ご来場くださった沢山の皆々様
椿を愛し、見守って下さった皆様
誠に有難うございました。
作演出の小野寺です。
先日、鬼多見博士より実験の終了が知らされました。これで「吉備の国鬼魅伝説」の幕引きとなります。
毎作品、公式ブログにて作者の私が、少しだけ語るなんてことをやらせて貰ってます。
鬼魅鬼では何を語ろうかと考えながら
終演後、お客様からの考察を見ておりました。深くまで掘り下げてくれたり、キャラクターひとりひとりの感想を書いてくださったり、皆様の愛に溢れた文章を読みながらニコニコニタニタニヤニヤしていた私です←
公演期間中の感想といえば、、
「絶望エンド」「終わり方が!!(涙)」
といったツイートをよく見かけてました。
特に初日ww
しかし、折り返しも過ぎた頃から
「これで幸せなのかも」なんて、私のメリバ(ハッピーエンド?)に賛同してくださると方も増え、しめしめ( ^ω^ )と思ってました。
そう、この物語は「幸せ」なのです。
忌み子である「椿」が運命を受け入れ、
望んだ最後の「幸せ」なのです。
鬼魅鬼の物語では妖怪的な意味で本当の
「鬼魅(おに)」は一人しか登場しません。
古来より歴史上には様々な「鬼」に関する仮説が存在しますが……私は前々から「鬼は人間」という説を信じておりまして。
鬼のような所業を行う者。
人ならざる行為をする自らを受け入れられなかった者。
他を殺めてしまった者。
他にも様々、人間は時として理解しがたい事をしてしまうもの。
それらに理由をつけたかった人が語った「鬼」という存在が、夢物語のように語り継がれてきたと私は思っています。
「鬼魅鬼」の物語上でも、この形の「鬼」は多く登場しました。
さて、何人の「鬼」を見つけられましたか?
私は毎作品、皮肉を入れがちなのですが…
今回は、序章の最初のシーン。
この物語のはじまり。
忌み子を天に捧げるシーン。
香花は自らの手で愛する娘を殺めると決意したにも関わらず、寸前で良心がそれを咎め、その場に塞ぎこんでしまいます。
弱さとは優しさ。しかし、それ故に香花は「鬼」になりきれませんでした。
「鬼」にならなかった香花によって「鬼魅」を生み出してしまう。
というのが、作者なりの込めた皮肉?で御座いました。
さて。
少しだけ作詞のお話も。
前作のSyng til måneに引き続き、テーマソング(オープニングソング)の作詞をさせて頂きました。作曲家が仕上げてくれた最高な曲に歌詞をつけさせて頂きました。
そもそものきっかけは主演たっての希望で
オープニングで歌を歌いたい!という思いからでした。
莉月主演の作風は前々からアニメを少し意識したものにしようと勝手に思っていたので、快くその願いを叶えよう!
ナイスアイデア!ぐらいの気持ちで始動した計画でした。
今作品においては、物語の中であまり言葉を発しない主人公。
挙句に声を奪われ一切喋れなくなってしまいます。我ながら最後の無音終わりの静けさはとても気にいっています。
そんな主人公、椿にしたからこそ。
歌で椿の全てを語ろうと思いました。
母への思い、妹への思い。
そして、運命との向き合い。
物語で描いたこと、直接は描いていない椿の心情。この歌を聞けば「鬼魅鬼」が全てわかるといっても過言ではありません。
そんな一曲に仕上げました。
思いを詰め込んで、少し歌い難い言葉の羅列になってしまったのですが…見事歌い上げてくれました。
最後に…
今回パンフレットとチケットの仕掛けには皆様気づきましたか???
実は2種類のフライヤーを集めると1つの言葉が生まれます。
「牡丹散り逝き刻、椿の首落ちる」
この文言は、物語の最後。
牡丹に成り代わり椿が自らの命を投げる事を示しておりまして、この文言通りに椿の首をチケットとパンフレットを使って落とすと…
この物語の答え。
「幸」の文字が出てくるのです。
皆様気づいて頂けましたかー?
もし、お気づきでない方は是非お手元のパンフレットとチケットで合わせてみて下さい。
改めまして、
この度は「鬼魅鬼」の世界を最後までご覧頂き誠にありがとうございました。
劇団わたあめ工場
小野寺真美
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